アスリート詳細情報

鈴木 隆太(すずき りゅうた) 選手

所属
株式会社オー・エル・エム・デジタル
競技
パラスノーボード
障がい
左下腿2分の1以上欠損 下肢障害(4級)

『今はパラスノーボード競技者だけど、カヌーも山登りもやる。ボク自身の“ライフスタイル”がウリになるアスリートになりたいと思ってます。』

1982年1月14日 愛知県豊橋市生まれ。

1999年8月、17歳の時に通勤中のバイク事故により、開放性粉砕骨折のため左下腿2分の1以上を切除。3日間病院のベッドで泣きあかし、4日目には片脚を失った事実を受け入れる。18歳から26歳までは漁師で生計を立てる。

30歳の時、友人に誘われてスノーボードの魅力に取りつかれる。33歳の時に、友人が内緒でエントリーした「全国障がい者スノーボード選手権大会」で、いきなり優勝。以来、パラスノーボーダーとしての活動が増えるが、ほかにも、スケートボードやジェットスキーもたしなむ。座右の銘は、「障害はハゲと一緒。隠すから気まずくなる」

主な実績

  • 2015年 全日本障害者スノーボード選手権優勝
  • 2016年 IPC NORAM CAP カナダ大会(北米選手権)4位
  • IPC W杯 カナダ大会 13位
  • 全日本障害者スノーボード選手権準優勝

インタビュー

17歳の時、バイク事故で病院に運ばれて、ベッドの上で目が覚めて左脚を失ったことを知って、3日間泣き明かしましたね。4日目に、当時お世話になってた鳶の親方が見舞いに来て、「お前、自分でやらかしたことなんだから、メソメソ泣いてないで、自分のケツは自分で拭け。早く現場に戻ってこい!」と言われたんですよ。親方の言葉を聞いて、正気に戻りました。

義足を付けて鳶の現場に戻るのはできなかったけど、18歳で漁師を始めて20歳で漁権を取り、自分の船を持ってアサリ漁をして、たくさん稼ぎました(笑)。自分は左脚を失っても何でもできると思ってたし、お涙ちょうだいな世界とは無縁でいたかった。だからパラアスリートにも、正直、あまり興味はなかったんですよ。

29歳の時、健常の人に誘われて初めてスノーボードに行って、スノーボードのすべてにハマっちゃったんです。そこからは、スノーボードが自分のライフスタイルの一部になって、初めて出場した「全日本障害者スノーボード選手権」でも優勝して、そこからまた道が開けたっていうか。インタヴューで調子に乗って「世界を目指します」って答えてしまったので、さあ、資金はどうするんだ? と動き始めて出会ったのが、エランシアでした。

ボクはこんな性格で、せっかちで、やりたいことがたくさん湧いてきて、いろんな要求をしたんだけど、アスリート採用という形でサポートを受けることもできると提案してくれて、ボクと同じくらいのスピード感をもって対応してくれたんで、逆に驚いた(笑)、そんな出会いでしたね。

アスリート採用の形で、今の(株) オー・エル・エム・デジタルに就職しました。ボクみたいに自由に生きてきた人間が、企業に就職できるなんて思ってなかったから、人生何が起こるかわからないですよ。スノーボード競技を引退しても会社に貢献したいので、夏季競技のカヌーも始めたし、山登りもやります。普通の人でもできないことにチャレンジして、ボクにしか伝えられないことを発信するのがボクの役目。メダルのためとかではなく、それが好だからやっている、というのが大事だと思うんですよ。夢は義足界の、武井 壮になることですね!

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